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Steve Jobs

米アップルの会長で共同創業者のスティーブ・ジョブズ氏が5日、死去した。56歳だった。

 ジョブズ氏の家族は、アップルが発表した声明の中で、ジョブズ氏は「家族に見守られて本日安らかに息を引き取った。多くの皆さんがわたしたちともに彼の死を悼むことと思うが、悲しみにくれるわたしたちのプライバシーを尊重していただきたい」と述べた。

 アップルは死因を明らかにしていない。ジョブズ氏は膵臓(すいぞう)がんと闘っており、数年前には肝臓移植を受けている。今年8月、最高経営責任者(CEO)を退任し、ティム・クック氏に引き継いだ。

 クック氏は従業員宛ての書簡で、「アップルは先見性に富み、創造力にあふれた天才を失った。そして世界は驚くべき人物を失った」とし、「われわれは彼が愛した仕事に打ち込むことで彼の思い出に報いよう」と語った。

 ジョブズ氏は、30年以上に及ぶキャリアの中で、かつては果樹園が広がるのどかな土地であったシリコンバレーをIT(情報技術)業界のイノベーションの中心地へと変ぼうさせる上で大いに貢献した。

 マイクロソフトの共同創業者、ビル・ゲイツ氏やオラクルの創業者、ラリー・エリソン氏らIT業界の先駆者たちと共に業界の基礎を作り上げるとともに、優れたデザインには技術力を陵駕する魅力があることを証明し、デジタル化が進む社会において消費者のテクノロジーとのかかわり方を大きく変えた。

 ゲイツ氏は5日、声明で「スティーブのように強い影響力を持つ人物は世界でもまれだ。その影響は今後も数世代にわたり残るだろう」と述べた。

 ジョブズ氏は晩年にとりわけ大きな功績を残した。携帯音楽プレーヤー「iPodアイポッド)」やスマートフォン(高機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)」、タブレット端末「iPadアイパッド)」などのヒット商品を立て続けに世に送り出し、家電やデジタルメディア業界を一変させた。

 ジョブズ氏の巧みな広告キャンペーンやアップルストアを通じたマーケティングや販売手法は、アップルをポップカルチャーのアイコン的存在へと変ぼうさせた。

 その初期段階において、ジョブズ氏はかつて自らの哲学について「芸術と技術の交差点」となる製品を作ることだと語った。それを実践することで、アップルを時価総額3500億ドル(約27兆円)の世界で最も価値ある会社へと変えた。

 08年半ばごろから体重が著しく減少し、09年に約半年間病気療養のために休職、その期間に肝臓移植手術を受けた。今年1月半ば、健康上の理由とだけ説明し再び病気療養に入り、その後CEOを退任した。

 家族は妻のローリーンさんと子供4人。

 テクノロジー業界における計り知れない功績はもとより、エンターテインメント業界においてもジョブズ氏は同じく画期的な役割を果たした。アップルを世界最大規模の音楽ストアへと変ぼうさせ、ピクサー・アニメーション・スタジオ(後にウォルト・ディズニーに売却)の投資家、およびCEOとしてコンピューターグラフィックス(CG)アニメの人気拡大に一役買った。インターネットの使用方法や音楽、テレビ番組、映画、書籍の楽しみ方を変え、その過程で業界再編をもたらした。

 ディズニーのロバート・アイガーCEOは5日、声明で「あれだけのことを成し遂げたが、彼がまだ何かを始めたばかりのような気がしてならない」と述べた。

 ジョブズ氏は近代ビジネス史上まれにみる見事な復帰も果たした。アップルを11年間離れ、一度は過去の人としてほぼ忘れ去られていたにもかかわらず、ディスプレー一体型デスクトップ機「iMac(アイマック)」やアイポッド、楽曲配信ストア「iTunes(アイチューンズ)」などの製品やサービスを投入し、苦境に陥っていた会社を見事によみ返らせた。

 年間売上高は1997年度の71億ドルから2010年度には652億ドルに拡大した。消費者向け電子機器デザインで世界最高峰の企業となり、その守備範囲はパソコンだけにとどまらないことを示すかのように07年1月に社名から「コンピュータ」の文字を外した。

 ジョブズ氏は公式には8月に長年の右腕であるクック氏に指揮権を譲り渡しているが、その死は、ジョブズ氏の先見性と指導なしにアップルがいかに成功を維持するのか、という重大な疑問を生じさせる。

 ウォルト・ディズニーウォルマート・ストアーズ、IBMなどの他の米国資本主義を象徴する企業の場合、カリスマ的創業者を失った直後は多少混乱があったものの、最終的には何とか切り抜けている。

 だが、アップルほどの地位の会社で創業者に著しく依存している、あるいは創業者がキャリアのピークに死去した例はほとんどない。ジョブズ氏が85年にアップルを事実上追放されてから数年後、同社の業績は徐々に傾き始め、やがてコンピューター業界の隅に追いやられてしまう。それがようやく好転したのはジョブズ氏が97年に復帰してからだ。

 部下や部下のアイデアが気に入らないと「まぬけ」と怒鳴りつけるなど、その気難しい経営スタイルにまつわる逸話も事欠かない。

 マイクロソフトやグーグル、アマゾン・ドット・コムなどのライバルに対してはさらに闘争心をむき出しにした。アドビ・システムズが10年4月にアイフォーンとアイパッドがアドビの動画技術「フラッシュ」に対応していないことを批判するキャンペーンを打ち出したときは、1600語のエッセーをしたため、いかにフラッシュが時代遅れで携帯端末に不向きかをとうとうと語った。

 ハードウエアとソフトウエアに関する品質基準にも妥協は一切なかった。顧客がそのスタイリッシュなアップルストアに一歩足を踏み入れた瞬間から、「常識を覆すほどの優れた」美しさと使いやすさを感じられる製品を要求した。開発やデザイン過程における細部に至るまでのこだわりがアップル製品の最も際立った特徴の一部を実現し、自ら壇上に立って行う入念に計画された新製品のお披露目は他に類をみない熱狂を世間に生み出した。

 新製品発表後のイベントで、ジョブズ氏はよく「もう1つあった」といたずらっぽく言いながらスピーチの最後の最後に最も重大なニュースを明かした。新製品への期待をあおるための戦略として、従業員には秘密厳守を強いた。

 ジョブズ氏は1955年2月24日に生まれ、生後すぐにカリフォルニア州パロアルト在住の夫婦に養子として引き取られた。大学中退後、1976年に21歳で友人のスティーブ・ウォズニアック氏と自宅のガレージでアップルコンピュータを創業、若くしてテクノロジーイノベーターとしての評判を確立した。

 1984年にディスプレーと一体になった独特のデザインのパソコン「Macintosh(マッキントッシュ、通称マック)」を発売。これが、コマンド入力ではなくマウスでアイコンをクリックして操作する、現代のパソコン向け基本ソフト(OS)の基準となった。

 マックのアイデアの多くは1979年にゼロックスのパロアルト研究所を訪れたことがきっかけで生まれた。その研究所でジョブズ氏は、「Alto(アルト)」という名のコンピューターに出会い、現在のグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)とマウスの原型となるものを目にする。このエピソードは幾度となく既存の発明を洗練・普及させてきたジョブズ氏の手腕を物語るものだ。

 ジョブズ氏はかつて90年代半ばの米公共放送PBS制作のコンピューター業界に関するドキュメンタリー番組で、「ピカソはかつて『偉大な芸術家は模倣せず盗む』と言った。わたしは偉大なアイデアを盗むことに恥じらいはない」と語っている。

 ジョブズ氏はその見た目からして会社経営者というよりは、芸術家といったイメージを作り上げようとしていたようだ。リーバイスのジーンズに黒のタートルネックニューバランスのスニーカーというお決まりの服装以外で公の場に現れることはめったになかった。

 ジョブズ氏を知る人たちは、彼が絶えずイノベーションを達成できた理由の1つは、過去の功績や遺産にあぐらをかくことなく常に前を見続け、それを部下にも要求したからだと話す。

 その証拠に、元アップル社員の外村(ほかむら)仁氏は、1990年代後半にジョブズ氏が復帰したあと、カフェテリアに展示してあった、かつてアップルコンピュータが最初に作ったパソコン「Apple I(アップルワン)」が、いつの間にか撤去されていたことがあったと語った。

 「自分もいつかは死ぬ。これを常に念頭に置いておくことが、何か失うのではないかという考えにとらわれないための一番の方法だ」

 ジョブズ氏は05年6月に米スタンフォード大学の卒業祝賀スピーチでこう語った。その約1年後、がんと診断された。

偉大な人を亡くしました。下世話な話かもしれませんけど、今後appleの株価は下がるでしょうし、iphoneipadといったワクワクする製品はもう出てこないのかもしれません。非常に残念です

しかもiphone5でるのかと思いきや4Sが最後とは・・・どうなるapple

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